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本を読んだら、自分を読め…小飼弾
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2014.03.02 Sunday 23:10
本名:本を読んだら自分を読め
著者:小飼弾
読んだ本は記録しよう、とのことでしたが、ちゃんと書こうと思うとなかなか難しく続かないとのこと。
だからこそ、初めは忘備録と考えましょうとのことでした。
私もとりあえず読んだらメモ程度に書いてこうと思います。 -
チンギスハーン成吉思汗(マンガ)
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2014.02.16 Sunday 18:08
本名:チンギスハーン成吉思汗
著者:横山光輝
蒼き狼と呼ばれるテムジン(ジンギスカン)の一生の物語です。
若かりしテムジンの苦労と四苦八苦が生き生きと描かれております。
モンゴル統一後の物語は駆け足で書いてあり残念でした。
モンゴル統一戦のなかではジャムカのしぶとさが印象的でした。 -
富嶽百景 太宰治
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2012.05.15 Tuesday 21:46太宰治の富士山に対する気持ちの揺れ動くさま、
表現がおかしみを感じる小説でした。
富士が単なる山ではなく、知り合いのような、友達のように感じてきます。
富士を落としたり、持ち上げたり、太宰と富士とのやり取りが微笑ましく、私は見守ってるような気持ちになりました。
まあ、やり取りとは言っても実際には太宰が勝手に富士について語ってるだけではあるのだけれど。
とはいえ、私が一番好きな場面はラストのシーンでの太宰のいたずらですね。
おいおい、ワルやの〜お主、と言って笑ってやりたくなりました。 -
2100年、人口3分の1の日本
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2011.12.20 Tuesday 23:28
人口論がこのところ盛んである。デフレの正体なども生産人口の減少を取り扱い、ベストセラーになっている。
さて、この人口減少はいつ始まったのか?
前々から少子高齢化の問題が取り上げられているため、不可抗力のように感じていた。
しかし、目から鱗と言うか、人口減少のきっかけには驚いた。
元々、政府主導で少子化政策は始まったというのだ。
1974年の人口白書で「静止人口をめざして」というのが副題とされており、人口ゼロ成長を目指すべきとしていたのだ。
そして、子どもは2人までという目標であった。
現在の 人口減少社会は実は当時の政府目標に沿ったもので、むしろ計画通りであった(´・_・`)
ただ、筆者はそれで政府を批判したいわけではなく、むしろ人口減少は起こるべきして起こるものとしている。
そして、人口4000万へと向かう日本の目指すべきは豊さを実感できる社会の実現で、そのためには高齢者と女性の生かし方を考えていく必要があるとしている。
ここまでのことは、第二章までで述べられており、あとの章は より深く、どのような社会になると想定されるか 知りたい方は見るとよいと思う。
ただ、筆者自身も述べられているように、明確な対応策は述べられてはいない。
あくまで、ヒントを示し一緒に考えていきたいという立場であった。
それがまた、この人口減少社会にどう対応するかという問題の難しさ、
根の深さを表している。どのような問題があるか?また、どのような社会になっていくのか?そんなイメージをつかめる一冊であった。★★★☆☆JUGEMテーマ:本の紹介 -
風花 川上弘美
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2011.05.07 Saturday 21:01主人公:のゆりの夫婦に起こった離婚問題を通して夫婦とは何か、ということを考えさせられる小説であった。ネタバレあり物語のラスト、のゆり、卓哉は二人で泣いている。その後、のゆりはふと泣き止み歩き出す。赤信号になっても渡ってしまい、その光景を卓哉は驚きの表情で見守るのであった。福島旅行からの帰宅時、卓哉はのゆりの「別れよう、私たち。」という発言により確固たる、[離婚する]という意思を受け取った。その時、卓哉は離婚に応じることを決意し、その瞬間、結婚前の2人での楽しかったこと、結婚後の2人の思い出、自身の浮気騒動によってのゆりに苦労をかけたこと、様々なことが脳裏に浮かび感情の収集がつかなくなったのだろう。人は感情が溢れると、涙が溢れてくるものだ。泣いている卓哉を見てのゆりはかっこ悪いと思う。しかし、卓哉の涙は決して女々しいものでない。色々な要素がないまぜになったものだろう。卓哉の涙をみてのゆりも泣く。しかし、のゆりの涙は卓哉の涙を受けてのものだ。自発的ではない。のゆりは今回自らの意思で離婚を決めた。気持ちはこれからの生活、未来に向かっているのだ。だからこそ、泣き止むのも早い。これまでは、周りに流され、惰性で生きて来た。これからは、のゆり自ら判断し行動をしていく。ラストは次の一文で終わっている。「卓哉はまるではじめてのものを見るように、のゆりの姿をじっとみているのだった。」ここでは(まるで)と綴られているが、卓哉は文字通り初めて、のゆりが自ら判断し行動する[赤信号を渡って行く]場面を見たのである。この、風花という小説。正直、途中まで感情移入ができず、どこかもどかしい感覚があった。つまらなくはない。いや、むしろ、先が気になり興味は引かれている。それなのに、この感じはなんだろう、という違和感があった。しかし、この違和感の原因は後半部分に入り分かった。理由は、主人公のゆりの意思を感じることができなかったからだった。意思もない。意見もない。そして、世の中に関心もない。あまつさえ、夫である卓哉にも関心がない。夫の浮気もタレコミがあって初めて気づく始末である。「死んだらおしまい。」のゆりは冒頭に真人と行った温泉でそのような文句を見たが、死ぬ気はないもんね。という感想をもらす。あくまで傍観者であり死ぬほどは悩んではいないのだから当然でもある。のゆりの傍観者意識はのゆりの叔父、真人も、そして卓哉も感じている。真人はのゆりに言う。「そこそこか。そこそこのずっと先のどんづまりまで行ってみないの?」卓哉には言われる。「魚みたいな目をしている」と。そして続ける。「僕のこと、怒りもしないで」と。さらには、のゆり自身がふと漏らす。「それより、どうしてわたしは、卓ちゃんと結婚したんだろう」「わたし、何も考えて、なかった。」卓哉は物語中、二人と浮気をしていた。それ自体には全く賛成もできない。が、卓哉の立場に立って見ると気持ちは分からなくもない。家に帰っても卓哉に対する関心もない、魚の目をした妻。家に帰っても、なんで一緒に住んでいるのだろう?と自らに聞く日々も多かったろう。そんな中、好いてくれる人が出てくればそちらになびく気持ちは理解できる。物語は進み、のゆりも考えることが多くなっていく。自らのこと、そして卓哉との関係、卓哉はなにを考えているか、また卓哉はどのような人間か。そして、後半では「卓哉と里美は別れている気がする。」と勘がはたらくようにもなった。これは卓哉に対する関心が高まっているからこそであろう。卓哉が火事でマンションを焼き出され、のゆりが卓哉を一夜泊めたことがある。その時、のゆりは思う。[結婚しなければもっとちゃんと好きになれたのに。]でも、私はそう思うのゆりに言いたい。「のゆりさん、結婚はゴールではないんだよ。結婚したからちゃんと好きになれなかった訳ではなく、結婚した時、のゆりは思考停止してしまったんだよ。卓ちゃんはずっとのゆりを待っていた。だから、のゆりが自分で考え始めた時、卓ちゃんはやり直したいと思ったんだよ。でも、のゆりはもう大丈夫。結婚すればあとは幸せが自動でくる訳でなく、そのあと努力も必要と知ったから。次の出会いはきっとうまくいくよ。」
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竜馬がゆく
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2010.12.24 Friday 23:55
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もしドラ
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2010.12.03 Friday 23:21
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君がオヤジになる前に 購入
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2010.11.12 Friday 21:23
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